成功への道のりに不可欠!絶望感を一瞬で覆す私の神マインド
少年の船
小学6年生の頃、少年の船と言う企画があり、夏休みに3泊4日位で沖縄に旅行に行くと言う企画があった。
友達数人も応募していて、応募者多数のため、地元の市の体育館で抽選会が行われた。
「生まれて初めての沖縄旅行!だ」と、かなりワクワクして、抽選会に出かけて行ったが、何故か僕だけが抽選漏れして、沖縄にはいけなかった。
夏休み明けに、周囲の仲の良い全ての友達が沖縄の話で盛り上がっているなか、数日間、仲間はずれになっている感、満載の日々を送った。
応募した友達はみんな受かっているのに、僕だけが抽選漏れしたことに対して気持ちの落としどころがなく、すごく悲しい想いをした事。
そして抽選会の帰りに、僕を元気づけようとしてくれたのだろう、母と二人で中華料理屋さんで、たらふくご飯を食べたことだけ、今は鮮明に記憶に残っている。
高校受験
時が経ち、僕は中学3年生となり、高校受験という一大イベントを控えていた。
部活のサッカーを引退してからというもの、苦手な勉強の遅れを取り戻すために塾通いを始め、希望の公立高校目指して必死で勉強していた。
そして、その秋に彼女ができた。
自慢ではないが、好きだというような意思表示をもらって始まったのだが、男の子とは単純で、そこからは僕の方が、彼女に夢中になっていった。
彼女は、小学校の頃からピアノや日本舞踊を習っているというお嬢様育ちで、勉強もできて、ビジュアルも美人で、今思い返しても高嶺の花だった。
地域で一番の学校に行ける学力を持ちながらも、一緒の高校に進学しよう!と言ってくれて、僕の目指す高校にランクを下げてくれた。
それだけのポテンシャルを備えた子だったので、ご両親の期待は大きかったと思う。
そんなことは気にせず、僕はひたすら受験勉強に勤しんでいたのだが、受験直前のある日、担任から呼び出しを受けた。
「高校でもサッカーをするの?」と尋ねられ「もちろん」と答えると、あなたは内申書がすこぶる悪いから、サッカーでアピールしなさいと言われた。
当時、子供だった僕は、真面目な生徒ではなかったので、先生から目をつけられていたんだなと、いま思い返せば理解ができる。
受験直前まで必死で勉強をして、学力はギリギリ合格レベルに達したが、発表当日、僕の番号は掲載されておらず、私立の高校に行くことになる。
発表の日の彼女の顔は、見れたものではなかった・・・と、数日後に友達から聞かされた。
そして、高校1年生の春、彼女とは自然消滅となり別れを迎えた。
フリーランス
デザイン業界に身を置いて数年後にフリーランスとして独立した。
当時のデザイン業界は、低賃金で徹夜や残業が多く、ボーナス無くて当たり前の世界。
独立しなければ、人並みの生活や人生を送ることができない業界だった。
フリーになったとはいえ、クライアントを引き連れて・・・のような形ではなかった為、案件を獲得することはかなり大変だった。
フリー当初は、過去に所属した先輩とユニットという形でデザイン事務所を立ち上げたが、案件が確保できずに解散。
そこから独りで営業周りや、小さな案件をこなして信用を得ることを積み重ね、散々苦労してやっと順調に案件が来るようになった矢先に、案件を得ていた公共のメインクライアントが撤退、案件獲得の機会を全て失う。
営業してもいつ取れるか取れないかわからないデザイン案件をやらずに、そこからは、アフィリエイトというSEOを軸とした、広告サイトの紹介から報酬を得るというビジネスに移行し、数年後はLP400サイト~500サイトほど管理、やっと報酬が上がる形を構築できた矢先に、Googleの検索アルゴリズムの大きな改変が行われ、売れていたサイトが検索圏外に飛ばされて、収入を失う。
SEOアフィリをなんとか立て直そうとするものの、それまでのノウハウが通用せず再現できなくなったため、一向に立て直すことができず、撤退を余儀なくされた。
その他、同時期に、家庭内での大きなトラブルも多々あり、内も外も崩壊寸前の状態になってしまう。
総括として、誰のせいでもない、自分自身で選択してきた人生の結果として受け入れなければならないのだが、往々にして、何か事を成そうとする時に、全て裏目に出る、思いもよらず助かった・・・みたいな事は一度も起こらない自分の人生に、怒りと悲しみと絶望感に打ちひしがられ、数年間を過ごした。
開眼
人間、泣きっ面にハチ状態の時は、他者のせいにしがちである。
そうでもしなければ、心が持たないという部分もあるのだと思う。
その時は、冷静にはなれない為、それはそれでいいと、今は思う。
がしかし、ずっとそのままでは良くなこともわかっている。
僕は、往生際が悪いヤツでお馴染みの人間だと自負していて、目の前に思い通りにならない事があれば、そこをこじ開けて通りたくなる気質がある。
だから、ひたすら愚直に同じ事を繰り返し繰り返しやり続ける。
良くいえば、継続、悪くいえば悪あがきである。
その当時も、倒れ込んでいた状況から立ち上がり、行動を始めた。
そして行き着いた結論が「運が悪い」だった。
そこでまた、歪んだ論理に辿り着く。
なるほど!自分自身が「運」と言うものに縁がないことは、十分わかった。
もしも、この世に「運」というものが存在するのであり、自分に「運」が無いのであれば、その「運」を何とか手にいれる事はできないか?と、ある時ふと思った。
そして、一番、興味があり、自分の中で信頼がおけそうなそれが風水だった。
風水とは、一見「占い」に思われがちであるが、これは古の中国で政治にも活用されていた、列記とした環境学である。
これを学ぶことによって現状の「運」を、劣悪なマイナス状態から、せめてゼロにする事はできるのではないか?と真剣に考え、そして真剣に風水を学んだ。
風水の対策でできる対策は、今もすべてやっているが、それが大きく効果を発揮しているかどうかについては検証できないので、結局はわからない。
そして、ここまでやって、ある時、初めて考え方を変えた。
「運」が無ければ、無くて良い。
ただ、うまくいかないわけがない!位なところまで、自信を持てる位、努力をすることによって、本来「運」で得られるだけの成果を、努力で得ようと言うマインドにシフトチェンジをした。
学生時代にサッカーをやっていた頃、次の対戦相手が強敵だと、試合前から自分への負の暗示に負ける弱気を払拭するために、ひたすら練習をしていた。
バンドをやっていた時に、緊張するのは練習が足りないからだ、自分に自信がないから人前で歌うことに緊張をする。
だから、これ以上はない!と思えるくらい練習をしていれば、歌詞を間違えるワケがない!、音を外すワケがない!、ピッチが走りすぎるワケがない!と自信が持てて、落ち着いて自分の持っている力を全て出すことができた。
そうだ!これだった!
「運」に変わるパワフルな武器は、このマインドだった!と気づいた。
それからは、「運」ではなく「データ」で分析するようになり、結果もコントロールができるようになり、今日も、体力の限界まで目の前の目標に対しての、検証・改善・実践という、繰り返しの努力を継続している。
そしてその結果、これまで全くうまくいかなかった「集客から売り上げ」と言う部分が、うまくいくようになった。
もちろん、正しい学びに出会えた事は、気づかないうちに、運気が働いていたのかもしれない。
しかし、それ以降の結果は、すべてマインドチェンジと努力の継続という、人生経験が導いた結果である。
勝因
大きなマインドチェンジや気づきは必要だが、結局、何がピンチからのゲームチェンジになるのか?というと、継続は力なりと言うことに尽きる。
倒れたままでは無様、でも立ち上がれば生き様になる
座右の銘、七転び八起き。
生涯現役を誓っている僕には、同じ意味を持つ、2つの鋼の矜持がある。
だからこそ、これから何度となくピンチが来ても、なんとかしていける奴だと、自分を信じている。
そして高校受験の時に、大きく期待を裏切った彼女にも「あの人は最初の恋人だった」と、誇ってもらえるような人間でありたいと、いつもそう思っている。