失敗談から学ぶ!本当にあったヤバい成功の秘訣




人生はアミダクジだと、私はよく言っています。



それは、常に選択があり、そしてある種、間違うことが許されない、間違えてしまうと望んでもいないゴールに辿り着いてしまう、まさにアミダクジその物のイメージに近いからです。



その昔、私が過去の職場の先輩とユニットを組んで、仕事をしていたことがありました。



その時に、その先輩の連れで、スマホのアプリ開発をしている企業の営業職でOさんという人がいて、ひょんな事から3人で仕事をしていこう!というような流れになりました。



私はデザイン担当、他2人は営業を担当、大きな案件を取ってきて、3人それぞれの得意分野で作業をこなす。



まるでルパン三世のチームのような図式でした。



しかし、一件だけ、大きな案件をこなした後、それ以降の仕事は来ない。



営業が回っていない状況の中、ひたすら私は先輩が持ってくる、サンプル作りに日々の時間を費やしていました。



一週間後くらいには、仕事になるのか?毎回、そう思ってサンプル作りに励んでいました。



しかし、一向に案件獲得に繋がりはしませんでした。



そして、悩みに悩んだ結果、その状況が半年以上経過したある日、私はそのユニットを脱退すると決意、そして宣言しました。



なぜなら、すでに生活費が回らなくなっていたから。



生活費としての借金も増えていくばかりだったので、小さな子供もいる中、これ以上は無理だなと、断腸の思いで、脱退しました。



そこから独立して、フリーランスのデザイナーとして活動をしておりました。



そしてある時、その先輩のツレOさんから専門学校のパンフレットのデザインをやってくれないか?とのお話を貰いました。



継続的な案件が獲得できていない中で、単発ではあるものの、割と大きな案件だったので、有り難く快諾して、即時、デザインに入りました。



クライアントとの打ち合わせなどはすべてOさんがやってくれるので、私は本当に助かっていました。



そして、数回の校正作業の末、クライアントからOKが出て、無事に納品を終え、来年もまた頼む!というお話になりました。




アプリ開発のトラブル




で、その案件は終わったタイミングで私の高校時代の同級生が、社長をしている車の整備工場で、スマホのアプリ開発をしたいとの話が持ち上がりました。



プロジェクトメンバーとして、私も参加して欲しいとのこと。



だったら!という事で、アプリ開発にはOさんを紹介しました。



持ちつ、持たれつの関係、案件を頂いたお礼、お返しのつもりでした。



すると即座に開発に取り掛かるような流れになり、順調に話がまとまったのです。



私は、内心ホっとしていました。。。後に大きなトラブルになるとも思わず。



当時、今のようにアプリが広く認知されている時代ではなく、まだ走りの時代。



開発費用も約300万円と、高額でした。



何度も、打ち合わせをするために、片道1時間かけてOさんの事務所へ出向きました。



順調に進んでいるかと思っていたある日、同級生の社長から呼び出されました。



同級生は、怪訝そうな顔をして、Oさんのところから、こんな話が来ていると、ある話をされました。



それは、まだ完成していないアプリの開発費用を支払って欲しいという内容でした。



「え?」瞬間的に、私は意味が理解できませんでした。



よくよくその場で話を聞くと、Oさん所属のアプリ開発会社の月末の支払いが滞りそうなので、先に支払ってもらえないか?という内容でした。



同級生の社長は激怒!こんな話には乗れない、あんたから話をしてくれ!と言われました。



紹介したのは私であり、Oさんとも仲良くしていたので、致し方なく、Oさんと会って話を聞いたところ、どうしても支払いができないので、なんとかならないか頼んで欲しいと泣きつかれました。



が、私から見れば他社と他社の金銭トラブル。



ある程度の話までは関われても、支払いに関するところは、如何ともし難い。



しかも納品されていない商品の代金を支払えとは、常識的にもスジが通らないため、そこは「それはできません」と丁寧にご説明の上、お断りしました。



結局、Oさんのところの社長が、同級生社長の元に出向いてきて、話が一旦は納まりました。



しかし、お互いの胸のうちには、モヤモヤとした種火は燻り続け、アプリ開発も最終的に完成はしたのですが、世に出る事はなく、同級生社長が約300万円の赤字を出した結末になって、プロジェクトは終わりました。



そして、この関係を取り持った私が、どちらからも「なんで紹介した?」的な批判を受ける形となり、二社から同時に恨みを買うことに。



話のスジ的には、全く理にかなっていませんが、まぁ、人の感情とはそんなものかと、ある意味納得しました。




転機




そして数ヶ月が経過したある日、Oさんから以前制作した、専門学校のパンフレットのデザインの二度目の依頼が来ました。



私はアプリ開発以降、とある公共の機関からデザイン案件を斡旋して頂いて、大きな案件に関わることができて、事業が順調に軌道に乗りかけていたのですが、突然その公共の機関が閉鎖されることになりました。



思いもかけないクライアントの撤退で、お仕事の案件が、ノドから手が出るほど欲しい時期だったため、パンフレットのデザインは有り難く喜んで着手しました。



しかし!この案件がまたまたトラブルに。




パンフレット制作のトラブル




Oさんが下ろしてくる、クライアントの要望通りに私があげるデザインに対して、何度も何度も修正依頼が来ます。



その度に私は修正を入れて、データをお渡ししたのですが、何度かそのやりとりをした結果、最終的にデザインを一旦白紙にするという結末に。



どういう事かわからないまま、パンフレットのデザイン案件は終了しました。



なぜトラブルになったのか、なぜ白紙にされたのか、詳細はわからないまま、気持ち程度のギャラを持って、Oさんは私の元に来ました。



近所のファーストフードに行って、コーヒー飲みながら、申し訳ないと言いつつ、他の話題に。



そんな中、私も知っている、Oさんが懇意にされているデザイン事務所さんのイベントの話題に。



大きな案件のようで、私がお手伝いできる案件がないか?とお伺いをしたところ、突然「あんたに振る仕事は無い!あんたにできる仕事は無い!」



と飲食店の中で怒鳴り散らされました。



パンフレットの件といい、意味もなく突然怒鳴り上げられた事といい、「できる仕事は無い!」という捨て台詞に、流石の私もプチっ!となりそうだったのですが、飲食店の中で人目もあるので、その場は堪えました。



そしてその時を最後に、Oさんとはご縁が切れる運びとなりました。




Oさんの今




後々、風の噂でOさんの話を聞くと、当時のアプリ開発会社の社長とも度々ケンカをしていたらしく、当時から患っていた糖尿病という持病も抱えていて、さらに当時、新築の戸建てのマイホームを購入したという話を聞いて、お祝いに観葉植物を届けに行ったこともありました。



諸々の状況から、彼は逃げ場もなく、体調も悪く、あらゆる角度で追い込まれていたため、精神的に不安定だったのではないかな・・・と、今では冷静に考えることができます。



そして風の噂で、今は物流系の倉庫で働いているという話を、数年前に知りました。



これまでは、コンサル系、アプリ系、その他複数の営業職を転々としていたという話は聞いていましたが、いわゆる体力勝負の物流系に転職された事には、少々驚きました。



歯茎から血が出るほどの悔しい想いもしましたが、それだけの想いが追い風となり、そこからの私の転機が始まります。




その後の私の人生




私は彼とご縁が無くなってからも、失敗の連続で、最終的には総額約400万円ほどの自己投資をしてきました。



途中、何度もどこかの企業に雇用されて働こうか・・といった迷いに打ちひしがられてきましたが、子供たちの成長に関わる学費や、その他借金返済などを考えると、仮にどこかの企業に雇用してもらっても、とてもじゃないけど借金返済が追いつかない。



デザインよりも、もっと単価が高く、そしてコンスタントに売り上げが生まれる仕事に就かなければ、食べていけない事はおろか、どこかで生活が閉ざされる事さえ目に見えていました。



色々と生きる道を模索した結果、まずは必要な条件を書き出してみました。




①全く知らない、畑違いの世界には飛び込まない



②体を酷使する仕事は、先が見通せないので選択しない



③これまで培ってきたスキルと経験が最大限に活かせる仕事



④在庫や設備投資が不要な仕事



⑤単価が高いか、売上げが上がるサイクルの回転が速い




これらを検討し、全ての条件が満たされたと判断した結果、集客のコンサルティングをやろうと決意しました。



そこから3つの高額講座、総額約240万円程度の授業料を支出して、集客を学ぶわけですが、どれもこれもノウハウの切り売りしたものばかりで、愚直に実践したものの、ただの1人も集客ができません。



もう二度と、高額な講座には手を出さない!と誓って、手持ちのノウハウだけで何とか売上を上げていこうと決意したものの、そよ風一つ吹かない状況が約1年続きました。



それでも、生活はあるし、何とかしなくてはならなかったので、YouTubeや書籍で確実と思われる集客法からビジネス構築法などを日々探していたところ、1人のメンターと出会います。



二度と、講座は受けないと誓っていたのですが、そのメンターさんは、他の方と全く違って、こんなに出して良いのか?と驚くほど、無料でノウハウを出しまくっているのです。



目の前にどんどん出てくるノウハウの情報に、こちらがびっくりしてしまい、釘付けになりました。



そこで私は気づいたんです。



本当に成果が出るメンターさんは、追加のお金をかけずとも、初期投資した範囲内のノウハウ提供とそれに伴うサポートで、結果が出るのだと。



それから、全力で大量行動と、実践、検証、改善を繰り返した結果、仕事がなくて打ちひしがられている日々から解放され、今に至ります。



そして、今は私も、集客にお困りの方、ビジネスを軌道に乗せたいゼロイチ起業家さんのために、出来うる限りの情報をお出しして、学ぶべき正しい集客法をご提供しております。



その結果、デザインや集客を中心とした業界に残り、学びと継続を諦めず、少しづつ積み上げてきたスキルと経験によって、私は救われました。




今は




一時期は、Oさんに対して、良い気持ちにはなれませんでしたが、今もしOさんが私に仕事や収入の相談を持ちかけて来られたら、あるいは、アプリ開発の時のように、支払いに困っている場合は、微力ながらお助けすることも出来るところまでに成長しました。



これは、山あり谷ありの中でも、きっと僕は人生というアミダクジの選択を間違えずに来れたんだと、改めて確信しています。



そういった意味では、いつどの過去においての経験も、今の私に辿りつく為のクエストだったのだと、改めて冷静に思えるようにもなりました。



今では、全てに感謝しています。



この記事をお読みの皆さんも、一時期の僕と同じように、ビジネスにおいて、お悩み、あるいはビジネス以外でも、何かお困りごとがあれば、お気軽にご相談くださいね。