生き様という狼煙


皆様こんばんは。


集客に悩むゼロイチ起業家のためのSNS集客|神谷広樹です。


皆様の事業の集客、如何ですか?うまくいっていたらいいなぁと、勝手に思っております。


さて、今夜は、神谷広樹という人間の「人とナリ」をお話致します。退屈凌ぎでいいので、読んでみてください。



実は、音楽やってました。


突然ですが、僕は昔々、音楽活動をやっていました。


いわゆるバンドブーム世代。


80年代後半~90年代にかけて、バンドブームという時期がありました。


バンドを始めて、洋楽、邦楽、どちらも聞くようになりましたが、そんな中でも大好きだったのは、BOØWYというバンドでした。


当時、圧倒的なカリスマバンドで、みんなカセットテープにダビング(30代以下の方はわからないでしょうね。。。)して聞いていました。ビジュアルも、音もカッコイイの一言で、車でかけると飛ばしたくなるし、部屋で聞いていると出来もしないギターを弾きたくなるし。


とにかく四六時中聞いていた音楽でした。


そんな毎日の中、音楽に精通している友達とアルバイト先で出会い、やがてバンドを始めました。


若さゆえ、当時は本気でプロデビューしたいと思っていたので、コピーではなく、オリジナルでいこう!と楽曲作り始めました。作る曲は、どれもこれもBOØWYのテイストがど真ん中にある楽曲ばかりで、今でも僕のIphoneの中には、当時作ったオリジナルの楽曲が12曲入っています。


何度も何度もオーディションにカセットテープを送りました。


またダメやった。。。


よし次の曲を作ろう!


曲を作って、演奏を録音して、歌入れして、ミックスダウンして、オーディションに送るの繰り返し。


今みたいに、SNSもYouTubeないので、個人の情報を発信する場はありません。


そんな音楽活動を30歳までやり続けましたが、残念ながら、バンド仲間も就職で関東に行くことになり、年齢も年齢なのでミュージシャンとしてのプロデビューの夢は消滅しました。


そして、30代、40代、50代と、広告業界で、デザインやることになるわけです。



フリーランスという生き様


2003年にフリーとなり、制作と営業周りの両立が苦しく、スケジュールに追われ、収入も安定せず、何度となくピンチを迎えていました。


その度に、せめて営業をしてくれる人がいてくれたら・・・と、受注と制作の問題を常に抱える毎日。


時には、廃業してしまった方が楽なんだろうな。。。なんて考えることもありました。


バイト的に別案件を受けながら、自分の仕事をこなしている時期もありました。


そんな壁にぶち当たって、挫けそうになっても、また立ち上がる状況が続いたある日、トラブルが起こり、クライアントをなんとか説得しなくてはならない場面に遭遇しました。


僕が引き起こしたトラブルではないのですが、とはいえ、僕のクライアントなので、なんとか説得しなくてはいけません。


できれば、話をしたくない状況なのですが、後に退けないので、電話で連絡しました。


そこで、まずは状況を説明、ご要望には物理的に応えられないことも説明した上で、可能な限り、クライアントの要望に近い対応を約束して話がまとまりかけた時に、こう言われました。


「こんな状況で、自分で電話をかけてきたのは、あんたが始めてだよ。あんたは、逃げずに、自分を曲げずに、もがきあがく人なんだね」と。


褒められているのか、ケナされているのか、よくわからなかったのですが「確かに」と思う節はありました。


僕は不器用な人間なので、通れない壁があるなら押し通ろうとする傾向がある、とその時ふと思いました。


別の道に迂回する方法、逃げる方法はたくさんあります。


しかし、それが頭に思い浮かばないんですよね。そのまま真っ直ぐに突き進んで押し通ろうとする。


何度倒れても、起き上がって押し通ろうとするんです。


うまくやれる人なら、うまくいなしたり、かわしたりして、もっと楽に進んでいくのでしょうけど、それが上手に出来ない性分なんです。


そんなことを考えている時はいつも、昔、母に言われた言葉も思い出します。


「あんたの人生は七転八起きだね」


あぁ、そういえばそんな事言われたなぁ。


結局、転んでも立ち上がってまた転ぶ、そして立ち上がるの繰り返しの人生。



ヒムロの言葉


2016年、僕は47歳。


この年に、衝撃的な出来事がありました。


大好きなBOØWYのヴォーカルだったヒムロ京介が、難聴を患い、ライブ活動無期限休止する最後の4大ドームツアーが開催されました。


ヴォーカリストは、体を酷使します。


まず、喉、次いで耳。


耳は、イヤモニといういわゆるイヤホンを耳に入れて、演奏や自分の声が明確に聞き取れるように、リズムが外れないようにするものです。


あれだけの歓声の中、音を繊細に聞き分けなければならない、おそらく静かな所で聞くと爆音に近い音を、長年イヤモニで聞いていたからなのでしょう。


耳が聞こえずらくなり、体調にも影響を及ぼすまでになっていました。


そんな中でのライブ活動無期限休止宣言。


僕の頭の中は真っ白のまま、福岡ドーム(現ペイペイドーム)でライブに参加していました。


そしてヒムロのMCの中で、僕の僕である事を気づかせてくれる言葉を耳にするのです。


「俺は俺なりに矜持(きょうじ)があってさ。それはダウンしても必ず立つってやつ。ダサくても格好悪くてもいいから、必ず立つ、と。無様でも立ち上がれば、無様じゃなくて、それが生き様になる。そんな感じでずっとやってきた」


倒れた時に倒れたままだと無様、でも倒れても倒れても起き上がって歩き出せば、それは生き様になる。


衝撃でした。。。


瞬間に涙が溢れていました。


死ぬほど憧れたヴォーカリストの最後かもしれないその姿が、最後までカッコよかった。


ヒムロのあの言葉は生涯胸に刻み続けようと思いました。


母に言われた「あんたの人生は七転八起きだね」。


そうか、これこそ、俺もそれが生き様だった。


だから、何度痛い目を見ても、起き上がってきたんだなと。


ビジネスでも、うまくいかない事、失敗すること、多々あります。


でも僕は、悪あがきと言われても、必ず立ち上がる。


そして、生き様を見せつけてやるんです、人生が終わる時の自分自身に。